鶴岡天満宮



その始め大梵寺城又大宝寺城と云ってその起源は今容易に断定し難い。
従って城内天神としての創立については判然としない。

延宝二年(一六七四)八月二十五日に現在地に遷宮する。それ以来二百七拾九年となるので最初に創建されてから約五百参拾年になるものと推計される。

天保十一年(一八四〇) の由緒書上帳によれば、慶長八年(一六〇三)最上義光公がその城代原美濃守に命じ、城池改築の折、城内西門脇の天神を城下五日町に遷座したと記されてある。また、御正体を奉安してある御厨子の作すこぶる逸品で総桧柾材であることから、少くとも文明(一四六九〜一四八六)直前の頃が当社の創建と推定される。
その後各城主の崇敬厚く、特に最上・酒井の藩公の敬神寄進の歴史が由緒書に明記されている。
当神社は、
学問の神としてだけでなく、豊作・災難除けなどの祈願が広範囲にわたり、元和五年(一六一九)石高を増加改定されるにあたって渡海無事の祈願をも行った。
酒井領主公時代も
海難除けの祈願が寛保二年(一七四二)城米二十七彼の廻送に当って以来明和三年(一七六六)に至るまで二十五年間も親けられている。

また、雨乞いの祈顕も寛保二年(一七四二) 明和四年(一七六七)、文化十年(一八三一)、文政元年(一八一八)同七年に行われた事が記録されている。その他、明和三年(一七六六)清光院様の奥方の当病平愈、寛文七年(一六六七)藩主公参勤お登りの際の道中無事の祈願などが行われた。




明治九年(一八七六) 村社に列格、同四十四年四月十一日神饌幣帛料供進神社に指定される。
昭和七年(一九三二)
本殿並びに玉垣改築、神饌所並びに幣殿新築、同年八月村社より一躍県社に列格される。
昭和三十年(一九五五) 太宰府神社を明治以前の鶴岡天満宮と社名を変更。
昭和三十三年(一九五八) 菅公一〇五〇年記念事業として大鳥居新設、参道改修。
昭和四十一年(一九六六) 天狗舞、獅子舞復活。
昭和四十四年(一九六九) 鶴岡天満宮護持・天狗舞、獅子舞維持の目的のため天神講発足。
昭和四十九年(一九七四) 五月、本殿・拝殿・末社修復工事(鋼板葺替)・鶴岡天満宮誌発刊。

獅子舞の舞初めは天和二年(一六八二)七月五日と伝えられ、天狗舞(猿田彦舞) の面は文化六年(一八〇九)領主公の奥方の御奉納、獅子頭は明和(一七六〇〜七一)の頃桂徳院の奉納と伝えられる。



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